本/上口愚朗/愚朗の陶芸-野獣派陶碗.愚朗井戸/愚朗志野-曙志野.鼠志野.紅志野/多芸多陶-黄瀬戸.引出黒/実用野陶-茶碗.徳利.ぐい呑.他/茶道

本/上口愚朗/愚朗の陶芸-野獣派陶碗.愚朗井戸/愚朗志野-曙志野.鼠志野.紅志野/多芸多陶-黄瀬戸.引出黒/実用野陶-茶碗.徳利.ぐい呑.他/茶道 收藏

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■茶道誌■『なごみ』■「昭和の畸人・上口愚朗」■「上口愚朗ものがたり」-愚朗に心通わす異才たち/生涯の友・棟方志功/唯一の師・川喜田半泥子/スネモノ会の200人/愚朗の手すさび■「上野山窯―愚朗の陶芸」―野獣派陶碗/愚朗井戸・(愚左衛門・土左衛門)/愚朗志野・(曙志野・無地志野・鼠志野・雪志野・紅志野)■「多芸多陶」―均窯/黄瀬戸/伊羅保/引出黒/鉄釉/唐津■「実用野陶」―茶碗/急須/湯呑み/鉢・小皿/徳利/ぐい呑/他■「昭和陶芸界における上口愚朗」■「スネモノ会にみる愚朗の茶」■「黒便秘不要無名文化財・雲谷斎・愚朗」■茶碗/箱書■茶道/道具■掛軸■以下詳細をご覧下さい!! ■




■■『茶道誌』・・・■■



■■『なごみ』・・・■■

**”(1997年9月・通巻第213号)”**



―”特集”―

●●『昭和の畸人・上口愚朗』・・・●●

**”(約・39頁) ”**



■発行日=平成9年9月1日。
■発行所=株式会社・淡交社。
■サイズ=18×25.5cm。
■定価=840円。
■状態。
  ●表紙に多少のキズ・ヤケが有ります。
  ●本誌内に多少のヤケが見えますが
  ●大きなダメージは無く
  ●年代的には良い状態に思います。



◆◆注意・・・◆◆

 ★発行日より・経年を経て下ります。
  コンディションに係らず・古書で有る事を
  充分に御理解の上・御入札下さい。

 ★神経質な方は入札をご辞退下さい・・!



●全・128頁・・・!!



●特集の・・・!!

  ◆「昭和の畸人・上口愚朗」・は・約・39頁。



●蒐集・資料などの・参考に・・・!!



●探されていた方は・この機会に・・・!!



●以下・詳細をご覧ください・・・!!

  ◆掲載案内は・抜粋し掲載して下ります。

  ◆掲載内容は・Q&Aより・問い合わせ下さい。

  ◆数字記載は目視です・間違いは御容赦下さい。



●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と致します。



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



―”特集”―

■■『昭和の畸人・上口愚朗』・・・■■

―”撮影・小林庸浩”―

**”(約・39頁) ”**

  ◆上口愚朗が・昭和35年に・ガリ版で二百部を印
   刷・製本した・「スネモノ」・創刊号。
   昭和44年頃・第二号を準備していたが・刊行に
   は至らなかった。



●●『上口愚朗ものがたり』・・・●●

★「洋服屋くずれの素人やきもの」・しかし腕はプロに
 負けない自分の生きたいように生きた破天荒なその生
 涯。


●上口中等洋服店、愚朗天宿主人。

●野獣派陶芸の不要無名文化財。

★昭和十三年・築地の料亭・「金田中」・の岡添鉄夫氏
 に誘われて・顧客でもあった伊勢の数寄者で作陶をよ
 くする川喜多半泥子を訪ねる。
 一週間ほど滞在するうちに・すっかり作陶に魅せられ
 た愚朗は・持ち前の旺盛な探究心からコレクションの
 古陶磁を研究し・これを再現するために・試行錯誤で
 二階建て三階建ての・これまた珍妙な窯を築いた。
 のちには・上野の地下鉄工事の際に出た土・上野山土
 を使っての製作も始める。
 太平洋戦争によって、洋服店のほうは自然灰表状態と
 なり・戦争中はもっぱら・書画と作陶にいそしむ日々
 を送った。
 戦後すぐに店の前の焼野原を千坪ほど買って・そのな
 かに・母屋・時計を保管する蔵の自作の展示室窯とロ
 クロ場を作り畑を耕し自給自足の生活を始めた。
 売買する茶碗作りは商工業で・純粋芸術とはいえない
 と公言する愚朗は・賃貸アパートを建てて生活費をま
 かない・展覧会では買い手のつかないような高値をつ
 けた。
 昭和二十七年に・東京日日新聞社・(現・東京新聞社
 )・の主催で・銀座の黒田陶苑にて初めて個展を開い
 て以来・陶芸家として取り上げられるようになる。
 愚朗の陶芸は、日本の伝統的な茶碗の忠実な復元と・
 自ら・「野獣派陶碗」・と名付けるフォーヴィズム調
 の茶碗の二本立てであった。
 昭和三十二年・愚朗独創の黒志野茶碗が日本伝統工芸
 展に入選する。
 いっぽうの・「野獣派陶碗」・はなかなか世にいれら
 れない。
 世をすねるスネモノを自称する愚朗は昭和三十年代・
 自宅の庭に大名時計や自作の野獣陶・会員の絵画・彫
 刻・写真を展示し・茶を飲み・酒を飲んで・(愚朗自
 身は下戸であったが――)
 ・やきもの談義に花を咲かす園遊会・その名も・「ス
 ネモノ会」・を毎秋開催。
 椎の大木に梯子をかけた樹上の茶室・「巣寝る庵」・
 や・回転する茶室・「めまい庵」・を建てて・多士済
 々とともに自在で奔放なお茶を楽しんだ。
 やがて野獣派陶碗のファンも増え・小林逸翁・松永耳
 庵・松下幸之助・岸伸介ら・政財界人も後援者に名を
 連ねた。
 が・陶芸界の権威に反撥する愚朗は・プロの陶芸家―
 ―とくに志野焼の人間国宝・(重要無形文化財)・荒
 川豊蔵に対しては、自ら・「不用無形文化財」・と名
 乗り・忌憚極まりない意見を述べていたため・反感を
 抱かれることも多かった。
 ・(以下略・・・)。

  ◆「めまい庵」・で談笑する愚朗と棟方志功。

  ◆愚朗の個展を観覧する岸信介氏と。

  ◆加藤唐九郎・(72歳)・と・裁断跡がほつれた
   まま愛用の背広を着た愚朗・(74歳)・三越に
   て。

  ◆箱前面に箱書きされた・「野獣茶碗」。
   号は雲谷斎・(うんこくさい)。



●●『愚朗に心通わす異才たち』・・・●●


●「生涯の友・棟方志功」・・・●

  ◆棟方志功が愚朗天宿を訪れた時・新聞紙に書いた
   ・「本来唯空」・を掛け・愚朗作の花入れに秋草
   を生けて。


●「唯一の師・川喜田半泥子」・・・●

  ◆愚朗井戸茶碗に・川喜田半泥子作の・水指・古瀬
   戸茶入・(豊蔵窯)・茶杓・銘・「鳴滝」・を取
   り合わせて。


●「生涯の友・棟方志功」・・・●

  ◆「徒然なるままに絵を描き文字を記したくなりま
   して」・という手紙とともに送られてきた・志功
   の絵と・志功が天女を釘彫りし・愚朗が焼いた鉢。


●「唯一の師・川喜田半泥子」・・・●

  ◆「半泥子から愚朗に宛てた手紙の中から・窯の構
   造を教えたもの。
   愚朗の洋服が気に入って、もう一着注文する葉書
   など、さまざま。


●「スネモノ会の200人」・・・●

  ◆①・立花大亀老師・大徳寺徳禅寺・(現・大徳寺
     如意庵主)。
     昭和40年の画賛。
     「大かたの世捨て人には心せよ衣はきても狐
     なりけり」。

  ◆②・柳宗悦・(民芸運動創始者)。
     昭和18年・和時計を撮影させてもらう日程
     の連絡。

  ◆③・谷川徹三・(哲学者)。
     昭和43年・愚朗邸の庭で採れた大好物の山
     ウドを贈ってもらったことに対する礼状。

  ◆④・火野葦平・(作家)。
     昭和25年・突然訪問。
     自分の特技を思いのまま発揮して生きてゆけ
     る生活を羨ましく思った。
     頂いた茶碗を使って心豊かになっている。

  ◆⑤・北大路魯山人・(陶芸家)。
     昭和32年・下駄のコレクションを拝見・小
     生も昔少々集めたが・なかなか良いコレクシ
     ョンだ。
     あきたら僕に譲ってほしい。

  ◆⑥・小山冨士夫・(陶芸研究家)。
     昭和36年・お尋ねの瀬戸の古窯・「松留」
     ・の陶器は東博にもあるが調査中で見せられ
     ない。
     いずれも古瀬戸展で公開されるであろう。


―”スネモノ会員に名を記されている
           著名士を次に拾ってみると”―

 ●画家では・東郷青児/藤田嗣治/朝倉摂/前田青邨
  /東山魁夷/鏑木清方/小松均/浅井閑右衛門。

  彫刻家では・木内克/赤堀信平/杉浦藤太郎。
  作家では・大佛次郎/川端康成/小島政二郎/里見
  ○/永井龍男/長谷川伸/中村汀女。

  政治家では・岸信介/今松次郎/池田勇太/田部長
  右衛門。

  美術評論家では・青山二郎/河北倫明/佐藤進二/
  磯野風船子。

  茶道関係では・千宗室/田山方南/田中仙樵/桑田
  忠親。

  ほか・多岐にわたっている。


●「愚朗の手すさび」・・・●

★絵心のあった愚朗は・戦争中にも疎開もせず・もっぱ
 ら絵を描いて愚朗天宿に蟄居した。
 自画賛や・しばし愚朗邸を訪れた洋画家で上野の帝国
 美術学校の教授をしていた、牧野虎雄の書画や合作な
 どは・飛騨高山の和紙とゴマ竹の軸木で自ら表装をし
 て掛物に仕立てた。
 牡丹の絵がお得意だったようで・半泥子からの手紙に
 も・「僕は君の牡丹の一軸を求めて愛玩しています。
 某々有名画伯のを見ても・この牡丹ほど興味を覚えな
 いのは何故でしょう。
 市場価値と画や焼物のイイという事は全く別です」・
 というような賛辞が見える。
 銀襴を使ったこの牡丹の表具からも・愚朗の力の入れ
 ようが見て取れる。

  ◆上口愚朗・画/牧野虎雄・(瓢人)・讃。

    ★「愚もの上のの鐘をきいている」。

  ◆上口愚朗・自画賛。

    ★「公で情けないかな色ばかり」。

    ★(○公すなわち政府の公定価格を揶揄する・
     昭和17年の作)。



●●『上野山窯――愚朗の陶芸』・・・●●

**”黒田和哉・(日本陶磁協会理事)”**


●「野獣派陶碗」・・・●

★「野獣派陶碗」・「野陶碗」・別名を・「無法陶碗」
 ・という。
 絵画のフォーヴィズム・(野獣派)・の陶器にとりい
 れての名称である。
 作陶にあたって・原料の陶土・釉薬などすべての天然
 ものを使い・灰も自作。
 焼成にあたっても・桃山期の原始的な穴窯で古法その
 ままに・素焼きもせず・サヤ・(焼成中に炎や灰が陶
 器にふれるのを防ぐ保護容器)・も用いない。
 そのためにアクの強い個性的な茶碗ができあがる。
 現在の技法からすれば考えられないことではあるが・
 穴窯による焼成のばらつき、陶土のヘタリ・キレ・釉
 薬が溶けたり溶けなかったり・といった焼き上がり作
 品のばらつきが・不思議なハーモニーを奏でる茶碗で
 ある。
 自然に曲がったものはリズム感があり・おおらかな自
 然の歪の楽しさは・”生まれたの”・にしかない。
 世界に誇るワビ・サビの捨身の芸術は・”生まれたも
 の”・であり・”作ったもの”・でないと喝破する愚
 朗の創作であり・終極の茶碗と自認している。
 当時流行したオブジェ陶とは・一線を画した愚朗の見
 識であろうか。

  ◆野陶碗。
               ・同・箱書。
               ・大円寺蔵。

  ◆野陶碗。
               ・同・箱書。

    ★野陶碗・箱書・「黒便秘不要無名
             文化財・雲谷斎・愚朗」。


●「愚朗井戸」・・・●

★別名を・「愚左衛門」・とも・「土左衛門」・ともい
 う。
 遺作として残る作品中・もっとも評価が高く・愚朗ら
 しいといわれるものが・井戸茶碗である。
 作品に入るきっかけは・喜左衛門井戸・(現・国宝)
 ・を・見・触れてからと思われる。
 ロクロを挽くときでも・喜左衛門のイメージが浮かぶ
 という。
 その寸法は、洋服の裁断と同じく・両手でさわった感
 触を覚えて・挽きあげたものであろう。
 いささかの狂いもなく・喜左衛門は再現できたことと
 思う。
 だが、本人にいわせると・一窯で優れたものは十個程
 度、あとは・「井戸から有り難い程度のもの」・と謙
 遜する。
 愚朗井戸は、井戸茶碗の・「七つの見処」・のうちも
 っとも茶人の喜ぶ枇杷色を無視している。
 枇杷色に発色する酸化焼成でなく・青手に焼き上げる
 還元焼成の方法だからだ。
 窯から出るたびに・荒土を用いるため・茶を喫するに
 は熱の伝導が遅く・感触は良い。

  ◆愚朗井戸茶碗。

    ★箱書・「愚朗井戸・上野山獣陶」。
               ・昭和40年作。
               ・大円寺蔵。

  ◆愚朗井戸茶碗。

    ★箱書・「井戸・愚左衛門」。
               ・昭和38年作。
               ・大円寺蔵。


●「愚朗志野」・・・●

★桃山志野の技法のままを用いて製作する。
 歩溜りの悪い窯による焼成と・志野釉の生掛けのため
 に素地が厚く作られている。
 志野釉は天然の長石を石臼と木杵を用いて自分で砕く。
 科学的なものは一切入れずに調合し・素地の厚さによ
 って加減する。
 愚朗志野の特徴は・長石に不純物が多く含まれるため
 に・少し黒ずんで発色する。
 ごく初期の作は・半筒形の伝統的な形であるが晩年に
 は丸みを帯びた穏やかな形になった。
 「曙志野」・は・志野釉調が・曙の空を染める淡い明
 るい紅色に似ることからの命名である。

★美濃のモグサ土を使って素地を作り・鉄砂釉を塗り・
 さらに志野釉をたっぷり施し・特性の小窯で酸化焼成
 する。
 土と鉄砂と志野釉の三つの条件が合わないと美しい発
 色とならない。
 曙志野の独特の発色は・愚朗の独壇場である。
 濃淡のむらが雲のようになる焼き上がりの釉調を最上
 とする。

  ◆曙志野茶碗。
               ・同・箱書。
               ・大円寺蔵。

  ◆無地志野茶碗。
               ・昭和44年作。
               ・同・箱書。
               ・大円寺蔵。

★中央の・「黒志野」・は・赤志野・鼠志野と同手の志
 野であるが・愚朗のまったくの創作である。
 その手法は・鼠志野の場合は鉄砂を薄く掛けるのに対
 して・黒志野は濃く掛ける。
 そして上に志野釉を施す。
 志野釉も・手で搗いた特別の長石を調合したものであ
 る。
 鉄砂は千二百度に上げると溶けて流れるが志野釉は流
 れないのでそのタイミングがむずかしく技術的にも非
 常な困難をともなう。
 釉調には、黒板塀に初雪のかかった・むらむらした美
 しさを求めている。
 黒志野のほか・雪志野・紅志野・練上手など・多彩な
 志野に挑戦しているが・サヤを用いず焼くため・炎が
 じかに釉に当たる。
 それらを自ら・「天然火色」・とよんだ。

  ◆鼠志野茶碗。

    ★箱書・「昭和三十八年・本部展・楽仙」。

  ◆志野新練上手茶碗。

    ★箱書・「原始制作による古志野の現代化であ
         り、昭和三十七年・三越本店の個展
         に初公開」。

  ◆雪志野茶碗。

    ★箱書・「雪志野・天然火色」。

  ◆鼠志野茶碗。

    ★箱書・「昭和三十七年・三越個展作品・楽仙」。

  ◆紅志野茶碗。

    ★箱書・「掻落手の片身替」。


●「多芸多陶」・・・●

**”(すべて大円寺蔵)”**

―”均窯”―

★中国・宋時代の名窯の一つ、均窯で焼かれたやきもの
 をいうが、再現する人も少ない。
 愚朗均窯の茶碗は、独自のフォルムを持つが・焼成時
 に、釉が溶けて流れすぎないよう、下に溜まるその一
 瞬をとらえるタイミングが抜群である。
 それにともなって発色する釉調と、辰砂色の発色にも
 特異性がある。

  ◆均窯・茶碗。
               ・同・箱書。

―”黄瀬戸”―

★黄瀬戸のなかでも茶人に喜ばれるのは・「丹礬」・と
 ・「油揚手」・である。
 丹礬は緑色に発色する銅釉を使うが、表面だけではな
 く内側に緑が映るものがあり、これを・「抜け丹礬」
 ・として・もっとも珍重される。
 油揚手は文字通り、油揚肌のもの。
 この二つを備えた作品を上とする。
 この茶碗もその例である。

  ◆黄瀬戸・茶碗。
               ・同・箱書。

―”伊羅保”―

★伊羅保は高麗茶碗の一種で・器肌がイライラしている
 からの命名ともいわれている。
 この製作には・粘着力の強い細かい陶土を使わず・荒
 土を用いる。
 ロクロを七回転以下で一気に薄く挽き上げる。
 ささくれだったような土肌に・釉薬をなるべく薄く掛
 けることによって・荒土のざらめきを表現する。

  ◆伊羅保・茶碗。
               ・同・箱書。

―”引出黒”―

★鉄釉の茶碗を焼成中・ある温度となったときに窯から
 大きな鋏で茶碗を引き出すと黒色の茶碗となる。
 水の中へ入れることもある。
 耐火性の強い土を用いなければ、急冷すると割れてし
 まう。
 黒楽の焼成と似たところがあり、ともに味わい深い黒
 色は、お茶の映りのもっとも良いものとして珍重され
 る。

  ◆引出黒・茶碗。
               ・同・箱書。

―”鉄釉”―

★一名・天目釉ともいうが・鉄釉の原料となる鉄砂は・
 産地によって鉄の含有量もちがい・溶解度もちがう。
 愚朗作陶のもっつとも基本となる釉薬で・これに上釉
 を掛けて焼くことによって・焼き上がりの釉調と発色
 がすべて異なる。
 原始の窯の構造は・人智の及ばない化学反応を起こし
 神秘の発色となる。

  ◆鉄釉・茶碗。
               ・同・箱書。

―”唐津”―

★唐津焼のなかに瀬戸唐津といわれるものがありさらに
 口縁を鉄絵具で黒く緑描きしたものがある。
 これを・「皮鯨手」・と呼んでいる。
 鯨の白身に黒い皮がついている様子に似ているからの
 命名である。
 夏茶碗として用いられ・唐津のなかでも珍重されるも
 のの一つ。

  ◆唐津・茶碗。
               ・同・箱書。


●「実用野陶」・・・●

**”(約20点)”**

★これらは初期の作品で、箱がない。
 裏に・「二千六百三年」・の銘がある茶碗は・昭和十
 八年作。
 これらの茶碗は・上野・谷中の窯の作品ではなく・半
 泥子の窯での所作とみる。

★窯の構造の不備の状態が続き・半泥子の窯に行き来し
 ていた時代の作であろう。
 この年中に谷中の窯が完成し・自分の好む志野茶碗・
 井戸茶碗の製作が軌道にのった。
 その記念として・半泥子に一碗贈っている。

★急須には・「上野山土」・と彫られているが・愚朗
 は・当時さかんにおこなわれた地下鉄工事で出た粘
 土も用いた。

★手前の湯呑みは・「退山記念・昭和三十七年・五月
 」・とある。
 大円寺の住職・服部太玄老師と近しく行き来してい
 た愚朗は、自信作ができると老師に進呈し老師の覚
 えを書き残している。

★「実用野陶」・の箱書のある黒掻き落とし手の鉢と
 ・今も遺族が愛用している小皿。

★下戸だった愚朗が来客用にたくさん作った徳利とぐ
 い呑み。
 井戸形など・茶碗のミニュチュアのようにいろいろ
 な技法が見て取れる。

  ◆茶碗。

  ◆急須。

  ◆湯呑み。

  ◆鉢・小皿。

  ◆徳利・ぐい呑み。

  ◆他・・・・・。



●●『昭和陶芸界における上口愚朗』・・・●●

**”文・黒田和哉”**

―”白黒”―

  ◆亡くなる半年程前に箱書きをした・「野陶碗」。
               ・同・箱書。

  ◆伝統工芸展に落選した黒志野茶碗の銘は・「楽仙」。
               ・同・箱書。


●「スネモノ会にみる愚朗の茶」・・・●

 ●第四回。

 ●第五回。

 ●第六回。

 ●第七回。

 ●第八回。

 ●第九回。

   ◆時計の卒塔婆を持つ愚朗。

   ◆スネモノ創刊号の表紙。

   ◆雑誌・「すねもの」・編集・印刷・製本・発行
    人・上口愚朗の・「創刊のことば」。

   ◆お気に入りのアイヌ服を着て。

   ◆トイレットペーパーにガリ版刷りしたページ。

   ◆スネモノ創刊号のグラビア頁。

   ◆愚朗天宿の庭で毎秋開催されるスネモノ会風景。

   ◆岸信介宇治の姿も見えるグラビア頁。

   ◆都庁職員時代・DDT散布のために愚朗を訪れ
    た・池波正太郎の文章。

   ◆魯山人の死を悼む棟方志功の寄稿文。

   ◆スネモノ創刊号の裏表紙。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


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