これまで収集してきたコレクションを出品しております。愛好家の方、ご興味のある方にご検討いただければ幸いでございます。
1943年ドイツ、ハンブルグ出身のハイデリー・イリーネ・ザンダー、通称ジル・サンダー氏が立ち上げたファッション・ブランドである“JIL SANDER(ジル・サンダー)http://store.jilsander.com/jp”その代表的なスタイルは、良質な素材やカッティング、高い縫製技術や細やかなディティールで仕上げられたシンプルなシャツやスーツ・コートなどがあり、ラグジュアリー感や機能性を両立したものが多い。何かを加えるのではなく引き算によって完成されたデザインや、素材の良さやデザインの美しさなどによって、女性の外面はもちろん内面の豊かさなども引き出すことができるシルエットである。ミニマリズムの代表と言われており、そのシンプルなデザインや上質な素材で仕上げられた服飾は働く女性たちに支持されており、世界中で高く評価されている。社会で働く女性のための理想的なファッションを具体化し、ジル・サンダー氏自身が着こなし、自身が服のモデルでもある珍しいタイプのデザイナーである。
その“JIL SANDER(ジル・サンダー)”の独自の3D立体裁断のストンと落ちる美しいボックスシルエットで上質な素材(バージン・ウール98%/エラスタン2%)ブラックベースの白ピンストライプのシックでクールなモノトーンが凛とした気品ある女性を演出する高貴/エレガントで洗練されたテーラーメイド(タグTAILOR MADE表示あり※オークション写真参照)未使用/未着用(店舗試着のみ)正規品シングルブレストジャケット(サイズ表記:FR42≒日本15号、正規代理店品、参考小売価格202,200円、イタリア製/Made in Italy)各部実寸サイズ(当方アパレルのプロではありませんので多少の誤差はご了承ください)をご参考にしてください⇒着丈:約71cm-肩幅:約45cm-身幅:約52cm-袖丈:約67cm-袖幅:約15cm)を出品致します。
まさに前述の『女性の外面はもちろん内面の豊かさなども引き出すことができるシルエット』と言ってもよく、更に、シンプルデザイン/ミニマリズムで上質な素材で仕上げられたこのジャケットはJIL SANDER(ジル・サンダー)の真骨頂であり、社会で働く女性を服飾デザインで応援する同氏のエールが響きます!!この、“JIL SANDER(ジル・サンダー)”の3D立体裁断のストンと落ちる美しいボックスシルエット、上質な素材(バージン・ウール98%/エラスタン2%)ブラックベースの白ピンストライプのシックでクールなモノトーンが凛とした気品ある女性を演出する高貴/エレガントで洗練されたテーラーメイド未使用/未着用(店舗試着のみ)正規品シングルブレストジャケットを、この機会に是非ご入札を!
【JIL SANDER(ジル・サンダー)ジル・サンダーについての詳細】
ジル・サンダー(Jil Sander、本名はハイデリー・イリーネ・ザンダー)。1943年、ドイツのハンブルグ生まれ。クレフェルド・スクール・オブ・テキスタイル卒業。アメリカのカルフォルニア大学に2年間在籍後、ニューヨークで雑誌社に勤務し、「マッコールズ(McCall's)」、「コンスタンツ」などの女性誌のファッションジャーナリストを経て、65年に帰国。
68年にハンブルクにブティックを開設。当初はティエリー・ミュグレー、ソニア リキエルの服を中心に販売し、それらに加え、わずかながら自身のデザインした服を売っていたという。
ジル・サンダーのデザイナーとしての活動は次の時代の成功と比較すると決して順風満帆ではなかった。彼女がデザインを始めた70年代半ばから80年代始めあたりまでは、クロード モンタナがデザインするようないわゆる「気前がよく、カラフルで派手」な服が主流。彼女のデザインの特徴である洗練されて繊細、かつ品質にこだわったミニマルなデザインが、本当の意味で認められるのは90年代、時代の流れが変わるのを待たなくてはいけなかった。それでもジルサンダーのブランドが70年代から80年代を乗り越えることができたのは香水の売上が順調に伸びていたことが要因として挙げられている。
73年にパリ・プレタポルテ・コレクションにデビュー。80年にパリ撤退。85年よりミラノヘ活動の場を移し、87年にミラノコレクションに参加。
89年、ジル サンダー社をドイツのフランクフルト市場にて上場を果たし、海外への大規模な事業拡大が可能になる。1997A/Wよりメンズラインを開始。98年、プーマとコラボレーションでレザースニーカーを発表。
99年、プラダグループがブランドの絶頂期にジル サンダー社の株式75%を取得するかたちで買収。ブランド売却後、グループの総帥であるパトリッツィオ・ベルテッリとの不仲を主たる理由に、2000年秋冬を最後にデザイナーを辞任。不仲の理由は素材の品質を落としたくないというジル・サンダーとコストを考えるグループの対立と言われている。
引退前の2000年春夏のコレクションは、それまでのジルとは違い、華やかなデザインが多く発表され、好評を博した。
ジル・サンダーの引退後、ジル不在となった後のデザインはプラダのデザインチームが行った。2000年12月に新クリエイティブ・ディレクターとしてミラン ヴィクミロビッチが就任。(ヴィクミロビッチは短期間だがグッチのデザイン・ディレクターを務めたことがあり、パリの有名なセレクトショップ「コレット」の元バイヤーだった。) その後、ヴィクミロビッチが全てのショーと広告キャンペーンを担当した。
2003年5月、ジル・サンダーがプラダグループの呼びかけによりデザイナーに復帰。2004年春夏ミラノコレクションよりデザインを手がけているが2004年11月、プラダとの不調和を理由にジル・サンダーは再び辞任した。
2005年より、ラフ シモンズがジル・サンダーのメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティブ・ディレクターを務める。
2006年、投資ファンド会社のChange Capital Partnershipがプラダからジル サンダー社を買収。
2007年春夏シーズンのシモンズによるレディースコレクションはミニスカート、ミニドレス、細身のパンツなどが中心でミニマルなデザインを打ち出す。さらに色使いと、素材、シモンズが得意としているテーラードのスタイルの組み合わせが素晴らしく、高い評価を受けた。
以降、シモンズの手腕もあり、ジル・サンダーの「カラー」、「シルエット」、「機能性」と芸術的にまで高められたコレクションは世界中で高く評価されている。
2009年、ダミアーニとコラボでイアリングとブレスレットの限定コレクションを制作。
2011年春夏シーズンより新ライン、「ジル・サンダー ネイビー(JIL SANDER NAVY)」の展開をスタート。2011年、東京で、2012年春夏のショーを東京・国立新美術館で開催。2012年8月に東京・青山に世界初の旗艦店をオープンした。
2012-13年秋冬コレクションを最後にラフ・シモンズがクリエイティブディレクターを辞任することが発表され、後任には創業者のジル・サンダー自身が復帰することになった。その後、ラフ・シモンズはディオールのデザイナーに就任した。
2013年、2014年春夏コレクションを持ってジル・サンダーが退任。デザインチームがブランドを引き継ぐこととなった。
2014年4月、新クリエイティブ・ディレクターにロドルフォ・パリアルンガ(Rodolfo Paglialunga)が就任。2015年春夏コレクションで初のクリエイションを手がけた。
2017年、ロドルフォ・パリアンガが退任。後任として、ルーシーとルーク・メイヤー夫妻がクリエイティブディレクターに就任した。
《ジル・サンダーのデザイナー(ルーシー・メイヤー&ルーク・メイヤー)プロフィール》
ルーシー・メイヤーは、スイスで生まれる。母はオーストリア人、父はドイツ人。イタリアのフィレンツェでマーケティング、パリでデザインとファッションについて学ぶ。その後、マーク・ジェイコブス率いるルイ・ヴィトンで5年間のデザインチームでキャリアを積む。その後、バレンシアガでニコラ ジェスキエールの元で活躍。ラフ シモンズに認められ、ディオールに移籍。レディースのオートクチュールとレディ・トゥ・ウエアのヘッドデザイナーに就任。ラフ シモンズ退任後は、ディオールの共同クリエイティブ・ディレクターとして5つのコレクションに就任した。
ルーク・メイヤーは、カナダで生まれ。母はイギリス人、父はスイス人。アメリカの名門ジョージタウン大学でファイナンスと国際ビジネスを学んだ後、イギリスに渡り、オックスフォード大学で経営学を専攻。ニューヨークのFITに通う。メンズブランド「OAMC」を共同設立者としてローンチ。自身のブランドも世界で100を超える店舗で販売されている。
未着用(店舗にて試着のみ/2018年8月購入)の状態の良いものですが、自宅保管ですので、完璧を求める方の入札ご遠慮願います。また、麻混素材の為、多少皺がよりますので予めご了承ください。
ノークレーム・ノーリターン・ノーキャンセルでのお取引をご了承頂ける方の入札をお待ちしております。
発送は、定型外郵便1,040円(日本全国共通料金:補償なし)。商品の補償をご希望の方は、ヤマト運輸の宅急便100サイズでお届けいたします
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他にもコレクションを出品していますので、よろしければ是非ご覧ください。