大型図録本 伊賀焼 古伊賀焼 写真解説 写真集 作品集 作品58点 72図 論考テキスト 資料 追加参考写真図版
茶道具 桃山茶陶 重要文化財 壺 甕 片口小壺 蹲壺 筒花生 耳付花生 耳付花入 擂座花生 蹲花入 耳付水指 香合 茶入 茶碗
在銘 からたち 寿老人 芙蓉 破袋 聖 岩かど 羅生門 小倉伊賀 本願寺 松山 室町時代 桃山時代 江戸時代
A Pageant of Japanese Ceramics IGA WARE
中央公論社
編集・解説 林屋晴三
監修 谷川徹三
編集委員 佐藤雅彦 坪井清足 楢崎彰一 林屋晴三
昭和52年初版 1977年
函入 カバー付き ハードカバー
76ページ
約34.5x26.5x2.3cm
作品写真フルカラー 解説追加参考写真図版モノクロ
巻末に英文の作品リスト、梗概 4ページ
English Abstract,List of Plates 4pages end of the book
※絶版
フルカラー大型図録本 古伊賀焼図鑑。函入大型愛蔵版。
緑色のビードロ釉が巌のような土膚を流れ、奇想天外な造形と相まって不思議な美しさを見せる作品群。
室町時代から江戸時代初期(14世紀~17世紀)を中心に、古伊賀焼の作品58点、72図収録。
全作品の詳細な説明、ほか論考テキストも充実の一冊。
本巻では、壺、甕、片口小壺、蹲壺、筒花生、耳付花生/耳付花入、擂座花生、蹲花入、耳付水指、香合、茶入、茶碗
などその作品群の全貌をフルカラー写真で紹介。
厳選された国内最高峰の優品を網羅して収録。
収録作品の配列は、あらゆる器形を網羅し、作風の展開のさまがわかるように掲載、
写真に加えて、巻末には全作品の寸法、全作品の解説。
作品名については、全作品に英文表記あり。また、巻末に英文の論考テキストも収録。
美術館・博物館所蔵などの高名な銘品から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
斯界の研究第一人者による解説論考テキストは、追加参考作品のモノクロ写真を多数もちいてその器形、様式の展開をていねいに考察。
特に本巻は、日本の陶磁研究の第一人者、林屋晴三が概説・個々の作品解説も手掛けた、特に力の入った一冊。
追加参考作品写真として、利休所持の伊賀筒花生、槇山窯跡出土陶片、丸柱窯跡出土陶片、上野城址出土の伊賀耳付水指陶片、花生の口作りの種々相のモノクロ写真ほか。
また実際に、これらの大変貴重な茶道具を使用した様子をモノクロ写真におさめた「生爪」の掛った待庵の床の間の風情、
茶道具取り合わせ<古芦屋霰地文真形釜(千利休所持)、伊賀水指 銘破袋、志野茶碗 銘峰紅葉、古瀬戸茶入 銘神無月、茶杓 武野紹鴎作(五島美術館の「松寿庵」にて)>
に加えて伊賀古窯跡分布図を掲載。
巻末のやきもの風土記は、伊賀の地、槇山と丸柱などを訪ね、戦後古伊賀、伊賀焼の復興に尽力し、谷本伊賀を確立した谷本光生、陶磁器デザインの先駆者として高名な日根野作三氏に取材した内容など、こちらも楽しく内容充実の読み物。
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、厳選された掲載作品図版、テキストは内容充実、参考文献としても多く引用されてきた一冊です。
本書は大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
陶芸家、茶道具、デザイン、古陶磁、骨董品愛好家等に必携の大変貴重な資料本です。
【目次】
作品 カラー写真図版
概説-破格の茶陶 林屋晴三 参考写真図版モノクロ(以下目次にはありませんが本文見出し)
はじめに
中世の伊賀焼
桃山の伊賀焼
茶陶伊賀焼の作風
再興伊賀
美濃伊賀
伊賀古窯跡分布図
作品解説 林屋晴三
やきもの風土記 九原常雄 今も「忍者の故郷」
「隠し国」と「忍法」 茶陶伊賀と筒井定次 「静かな山村」の槇山と丸柱 「現代の忍者」たち
参考文献
作品目録
英文梗概 English Abstract
英文目録 List of Plates
【凡例】
*本巻には、室町時代から江戸時代初期(14世紀~17世紀)を中心に、伊賀の作品58点、72図を収録した。同一作品で異る角度から見た図版や部分図版のある場合、一点二図とし、一括して名称を付した。
*収録作品の配列は、時代を考慮し器形ごとに作風の展開のさまがわかるようにした。
*作品には、原則として図版番号、名称、出土地、時代、寸法を付し、英文による名称を添えた。名称の読み方は作品解説においてふりがなをつけた。
*所蔵については、公共あるいは私設の博物館、美術館等に属するものは記載し、個人の場合は原則としてこれを省略した。
*巻末には英文による梗概、および図版目録を併載した。
【概説】より一部紹介
はじめに
……自然釉のかかった伊賀焼は、やきものとしてはいかにも重相な趣のものであるが、それはけっして単なる素朴さではない。私は数多くの伊賀焼の花生やが指を見て、それらに対して「破格の造形」という言葉を用いて表現することを好むが、確かに破格の造形といえるような要素を伊賀の花生はもっている。伊賀の花生にかかった草緑色の自然釉は、陶芸家に聞いてみると、尋常の燃焼で生じるものではないらしい。一つの美的効果を求めて灰釉をかけているらしいが、それに加えて長い時間徹底して焔を浴せ、薪の灰が降りかかることによって、おそらく焼いている当人ですら考え及ばない独特の景色が生じるのである。…
中世の伊賀焼
伊賀焼を象徴するものが、桃山の茶陶伊賀焼であることは、いまさら言をまたない。しかし、やきものという中世の古窯について優れた識見をもつ畏友楢崎彰一氏は、この信楽と伊賀焼についてその著『日本の陶磁古代中世篇』の「信楽備前丹波」に、次のように述べている。
桃山以前、すなわち中世の信楽・伊賀を識別することは至難の業である。おなじ花崗岩を母岩とする山の北と南であるから、花崗岩由来の陶土にそれほど大きい違いがないのは当然である。また当時陶工たちは自由に山に入って焼いていたのであるから、両者入り乱れての占地もあり得たであろうし、両者を区別することになにほどの意味があるのか、という声も聞かれる。果たしてそうであろうか。中世の陶工たちはすでに半ば専業的な工人に成長していたが、身分的に解放された自由な職業人であったわけではない。工人に対する境界規制はすでに平安初期においてすら、河内・和泉両国の「陶山争論」を引き起こしたほどの問題であった。窯業は一国の経済的基礎として、ふかく政治とかかわり合っているのである。
しかし、現在までに知られている信楽・伊賀の古窯跡は驚くほど少ない。著名な数箇所の窯跡をのぞくと、ほとんどまだ分布調査ができていないのである。近江・伊賀両国のみならず、畿内を商圏として持った両者の、現在知られる製品の量を考えるならば、古窯跡の数は現在の数倍以上でなければなるまい。そうした分布調査が完成すれば、自ずからそこに識別の基準が生れてくるであろう。本巻では両者を敢えて区別することを試みた。無謀な試みだという批判もあるが、将来にむけて両者の大まかな区別をつけておきたいと考えたからである。それは滋賀県下の遺跡で発見されているものと三重県下で発見されているものとの間に、陶質や釉(自然釉)の上に大まかな傾向としてのちがいを指摘しうるのではないかと考えたからである。だからといって本巻の区別は絶対的なものではない。両者を混同している場合も多いであろう。常滑の影響によって中世窯業に転換した両者の製陶技術は驚くほどよく似ている。技術のみをもって…
ほか
【執筆者紹介】刊行当時の情報です。
林屋晴三
一九二八年(昭和三年)、京都市に生れる。現在、東京国立博物館工芸課長兼陶磁室長。
東洋陶磁学会常任委員。著書『日本の陶磁全七巻』、『原色愛蔵版日本の陶磁全一四巻』(以上中央公論社)、『陶磁大系30高麗茶碗』(平凡社)。共著『中国古陶磁全二巻』(毎日新聞社)ほか。
九原常雄
一九二六年(大正十五年)、福岡市に生れる。
朝日新聞社瀬戸通信局長時代に「永仁の壺」事件を取材。のち、名古屋本社学芸部を経て現在、東京本社出版局で美術図書を編集。
著書『瀬戸=土と火の町』(日本放送出版協会)ほか。
監修 谷川徹三
編集委員 佐藤雅彦 坪井清足 楢崎彰一 林屋晴三
【作品解説】より一部紹介 全作品に寸法、制作年代、作風やその見どころ、来歴などの詳しい解説。
蹲壺 一五世紀
撫肩のずんぐりとした形は、まさに蹲と呼ぶにふさわしい姿で、全体厚手に成形され、端反りにした口は歪み、底は平底である。ロから胴にかけて降りかかった灰が鮮かなビードロ釉になり、肩は一部焦げ肌になっている。土肌も暗褐色に硬く焼き締り、胴の一部に窯割れが生じ、いかにも侘びた作振りである。底に了々斎宗左(表千家九世)が「仙家(花押)」と朱漆直書し、箱の蓋裏にも「伊賀焼園花生了々斎」と書き付けている。了々斎は寂陶を好んだらしく、その書付のものには作振りの優れたものが多い。背面にカンが付いている。伊賀の蹲花生は少ない。
肩衝壺 一六世紀
玉縁にした口作り、つよく衝かせた肩、裾張りぎみに立上った胴は裾にまるみをもたせているが、このような作行きは桃山期の伊賀焼にしばしば見るものである。肩から胴にかけて自然釉が流下し、99赤く焼き締って土肌は稀に見る美しい景色をなしている。桃山期の伊賀の壺のなかでも、傑出した優作の一つである。
筒花生 銘 生爪 一六世紀
これと似た器形で、千利休所持の花生があることから推して、天正年間(1573~1591)後期の伊賀焼であると推測される。太い筒形の花生で、口を鐔のように水平に開き、太い胴筋を一本めぐらしている。かなり横に歪んで焼き上っているので、座りがいささか悪い。正面の口から裾にかけて、あたかも瀑布のように草緑色の釉が流れかかり、背面は赤い肌に一部灰色あるいは黒色の焦げがあり、鮮かな景色である。単純な器形だが、なかなか力強い作振りである。背面に銃が付き、正面にカン付穴を填めた跡がある。かつて古田織部が所持していたもので、次のような織部の書状が添っている。「花筒つめをはかし候やうに存侯宗是ことつて進入候我等より参候茶入宗是に可被遣侯来春万々可得貴意侯間不能詳候以上恐惶古織部大晦日(花押)宗ヶ老人々御中」とあり、愛蔵していたこの花生を譲るのは、爪を剥されるような思いであると述べているのが面白く、それによって「生爪」と称されている。懇望したのは上田宗箇で、のちに道朴、伊丹屋宗不と伝わった。
耳付花生 銘 からたち 一六世紀 重要文化財 畠山記念館
伊賀焼に見る破格の美を象徴する花生といえる。桃山時代の和陶花生のなかでも最も声価の高い伊賀焼の花生は、作為のつよい特異な形姿と、法外ともいえる激しい火焔の洗礼を受けて生れた凄味のある焼肌とが異様に調和して、他の窯では味わうことのできない破格の美を作り出している。この花生はそのような伊賀焼のなかにあって、最も魅力的で味わいの深い作品である。
外に開いた口は口縁を内に抱えて寄せ口とし、頸部を引き締めて左右に耳を付け、六角面取りにした胴は裾に箆を回して姿を整えている。焼成中に口部が割れて欠失し、その残片が頭や胴に散っている。口部から胴にかけて灰がずっぽりと被っているが、上部は灰黒色と一部草緑色の釉肌をなし、下半分は暗緑色や紫黒色に焦げている。裾から底にかけては釉はかからず、褐色に焦げた土肌は意外に柔らかく焼き締っている。頭部の正面と背面にある銃付穴は填められている。「からたち」の銘は、割れた口部から落ちた三角の破片が、胴の上部に付着して鋭い棘のようであるところから、棘のあるからたちに因んで名付けられたらしい。加賀前田家に伝来した。
擂座水指 銘 破袋 一六世紀 重要文化財
よほど激しく焼き固められているのであろう。胴に大きな窯割れが生じていることから、古来「破袋」と名付けられ、伊賀水指中第一の名作として声価の高いものである。前図の水指もそうだが、厚手に成形されているため、ふくらみに無理が生じているのか、両器とも同じように割れが入っている。
広く開いた口部に段があり、外側口辺四方に貝のような揺座を付け、胴の上半部に山路風の線を彫り、裾張りにどっしりと拡った下半部には八条の縦筋を付けている。赤く焼き締った土肌の一部を残して、外側ほぼ全面に淡い緑色の灰釉がかかり、口部や胴の一部にやや厚い釉溜りが生じ、一部は焦げている。口部内側と内底にも釉がかかり、ことに内底に溜った釉は美しいビードロ釉になっている。胴に大きく生じた二筋の窯割れは平らな底にも回り、底は漆で繕われている。口部その他にも小さな割れが生じている。
ほか
【作品目録】より一部紹介 寸法・所蔵先 掲載
壺 14世紀
壺 14世紀
壺 上野市仏土寺境内出土 仏土寺
甕 15世紀
片口小壺 15世紀
壺 15世紀
蹲壺 15世紀
肩衝壺 16世紀
壺 16世紀
壺 16世紀
筒花生 銘 生爪 16世紀
筒花生 銘 羅生門 16世紀
花生 銘 長郎 16世紀
耳付花生 銘 寿老人 16世紀 藤田美術館
擂座花生 銘 芙蓉 16世紀 重要文化財
耳付花生 銘 からたち 16世紀 重要文化財 畠山記念館
耳付花生 16世紀
耳付花生 銘 寿老人 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 銘 岩かど 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 小倉伊賀 16世紀 重要文化財
耳付花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 銘 聖 16世紀
手付花生 16世紀
耳付花生 銘 寿老人 16世紀 根津美術館
耳付花生 銘 本願寺 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 銘 林和靖 16世紀 京都民芸館
耳付花生 16世紀
三角花生 銘 松山 16世紀 畠山記念館
耳付杵形花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付花生 16世紀
耳付瓢形花生 16世紀
蹲花生 16世紀
耳付水指 銘 破袋 16世紀 重要文化財 五島美術館
擂座水指 銘 破袋 16世紀 重要文化財
耳付水指 16世紀
耳付水指 16世紀
耳付水指 16世紀
耳付水指 銘 大黒柱 16世紀 不審庵
擂座重餅形水指 16世紀 畠山記念館
耳付瓢形水指 16世紀
耳付水指 16世紀
耳付水指 16世紀
四方水指 16~17世紀
耳付末広形水指 17世紀
肩衝茶入 銘 山木 16~17世紀 不審庵
伽藍石香合 16~17世紀 根津美術館
伽藍石香合 16~17世紀 東京国立博物館
手鉢 16~17世紀
沓茶碗 銘 捨石 16~17世紀