Chopin: COMPLETE WORKS FOR 'CELLO
Introduction and Polonaise brillante, op. 3
Grans DUo Concertante on themes from Meyerbeer's 'Robert le diable'
Sonata in G minor, op. 65
[ショパン/チェロのための作品全集]
序奏と華麗なるポロネーズ作品3、
マイヤベーアの歌劇《悪魔のロベール》の主題による協奏的大二重奏曲
チェロ・ソナタ ト短調作品65)
ANDRE NAVARRA, 'cello
JEANNE- MARIE DARRE, piano
SAGA XID-5166 Rec. 1962 (p) 1973
STEREO (This recording has been reprocessed for STEREO listening at Saga Studios, London.)
ショパンがピアノ以外で愛着を示した唯一の楽器とも云えるチェロのための作品全集である。チェロ・ソナタは生前出版された最後の作品で「一種妖しいまでの美しさを垣間見せて、ピアノ曲以外の彼の作品の中では疑いなく最も重要な、魅力ある一曲になっている(大木正興)」。初演は死の前年の1948年2月16日で二月革命(1848.2.23~1848.12.2)の一週間前、ショパン、パリ最後の演奏会でフランショームとの共演で行われた。
このチェロ・ソナタについて故濱田滋郎氏の麗筆を引用させて頂こう。
「・・・しかし、曲全体に聴き入れば聴き入るほど、これはショパンの最も彼らしい逸品に加えてよい作品だと信じられる。・・・とりわけ忘れがたいのは、楽譜にして見開き二ページにしかならないラルゴであろう。たんに聴き流せばただの甘美な間奏曲に過ぎまいが、これはショパンの心からでなくては湧きえなかった、短いがゆえに余りにも美しく哀しいノスタルジーの歌である。過ぎ去ったもの、遥かなもの、夢のように甘くしかもきりきりと胸をしめつけるものに寄せる、ポーランド人の『ジャル』(いわく言いがたい哀愁)のしらべである。ラルゴの旋律は繰り返しなく進み、いっとき高潮してのち、ピアニッシモで絶え入っていく。結び前、dの音が出て冒頭旋律の再現かな、と思わせるが、ショパンはもはや見果てぬ夢から面をそむけ、静かにランプの芯を下す。こんなにも胸にひびく楽章の閉じかたを私は他にほとんど知らない(特集《大作曲家の最後の作品を集めて》~レコード芸術1989年5月号)」。
《序奏と華麗なるポロネーズ》はショパンの少年時代からの後援者であるアントン・ラジヴィル公爵の令嬢ワンダに献呈された。A. Hedleyは自著の中でショパン自身の「サロン音楽に過ぎないが、・・・令嬢ワンダの鍵盤上の華奢な指が映えるのに役立つ(useful for showing Wanda how to place her pretty fingers on the keys)」という言葉を紹介しているが、若きショパンの気取りを垣間見る想いがする。
《マイヤベーアの歌劇《悪魔のロベール》の主題による協奏的大二重奏曲』も同様サロン音楽だが、ショパンが同オペラのなかの「死ぬほどの苦しみを歌った」アリアを聴いて感動したこととがきっかけとなり作曲されたと伝えられる。もっともニークスは「this duo is certainly a piece d'occasion - the occasion probably being need of ready money (現金をすぐに必要だったために)」とそっけない。作曲当時、パリに着いたばかりのショパンは経済的に不安定な状態にあったのも事実であるが...。
ジャンヌ=マリー・ダルレが録れた室内楽には、サンサーンスの《ピアノ、トランペット、弦楽五重奏の為の七重奏曲》、モーリス・マレシャルとのブラームスの《チェロ・ソナタ》(CD復刻済。解題は拙筆)、パスカルSQとのフランクの《ピアノ五重奏曲》があるが何れもチェロや四重奏団をと見事に調和の取れた比類無き演奏を繰り広げており、彼女が室内楽奏者としても卓越した技量を有していたことが分かる。
一方、このチェロ・ソナタをダルレともども作品への深い理解と感情移入でもって高貴に歌い上げている巨匠アンドレ・ナヴァラは当時、絶頂期にあった。彼がこの録音後ほぼ二十年以上を経た1984年に同作品を再録音しているが、伴奏ピアニストが余りに凡庸で旧録音のダルレと格が違い過ぎるうえ、ナヴァラも技巧の衰えによるものか音程が不確かな箇所も聴かれ旧録音と全ての点において同日の論ではない。
当LPの盤面は両面とも瑕は全く見られず、試聴するもクリックノイズは当然、瞬間的なティック音が聴かれる個所もなく、ジャケットも裏面に若干の経年の汚れが見られるが実に美麗である。