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こちらは今では入手が困難な極稀の戦前漫画、怪奇妖怪奇譚で 本田小舟による「漫画漫談 武者修行」です。日本図書出版社、国華堂、昭和8年ー1933年の初版。本田小舟は少年倶楽部などでも挿絵を戦前から描いていた人で漫画は大変珍しいです。初期の漫画漫談は漫画と文章の比率が半々くらいで描いていた宮尾しげを、大城のぼるの系譜の漫画。
概ね良好です。表紙に若干傷みありますが、基本的に出てこない個体ですので状態の有無はあまり関係なくレアです。
田河水泡「のらくろ」などに見られる漫画が流行する前は宮尾しげをのこうした漫画漫文形式の漫画が流行していて、デビューしたばかりの大城のぼるも2年くらい、こうした漫画漫文を描いてました(昭和6年~8年にかけて)。その系譜に連なるものでその中でも怪奇妖怪奇譚ものとして特筆すべき1冊。
腕自慢の豪傑左衛門による力比べの旅。巨大な大蛇が出ると知るや否や、さっそく赴く。退治しに来たというと、大蛇は覚えがないという。神様としてまつれというと、お前は神様になれるような(まつられる)ことしたのかと逆にあざ笑う。別に何もしてないという大蛇。
こうなると話は決裂、豪傑左衛門をのみこもうとし、刀など怖くないと丸呑みしてしまう。しかし腹を掻っ捌き、人間にはかなうまいと言い放つ。どうか命だけは助けてください、と慈悲をこうも、慈悲もなく大蛇を退治してしまう。
大蛇の死骸を持ち帰り、殿さまからほうびをもらうはずが、断り、また旅に。そこで見つけた小屋、そこには老婆がいた。彼女は優しく迎え入れるも、実は身ぐるみはがそうと企む山姥、鬼婆と悪徳侍が待ち受けていた。仕掛けた大岩を落とし、寝込みを襲う。
山姥と悪徳侍、2人を相手に余裕のよっちゃん、煙草をふかしてあざわう。勝負は一瞬の出来事だった。
今度は石に座っていたらそれが化けた九尾の狐だった。鉄扇で動けない九尾を滅多打ち。ここが頭だと挑発する九尾の額を割るとたまらず、九尾の狐に戻り、そこを一線。容赦なし。
向かうところ敵なしの豪傑左衛門、ふとある村で美少女のお花が化け物のいけにえにされることを知る。お花を気の毒に思う。助けてやろうと決心し、数百年は生きているであろう大猿、化猿に立ち向かう。お花を連れてきたところに不意打ち。めんを喰らう大猿。
神様だという大猿にも、いいかげんなこと言うなと立ち向かう。しかし、さすが数百年生きた化け物、刀が通らないという絶望の中、大猿の大笑いで終わるというとんでもない結末に。これで次がなかったら化け物の勝利という最悪な形ですが、幾つかシリーズ化されており、この本含めて3冊確認してきてます(1冊1冊が非常に入手困難なので10年20年かけても果たして揃うかという難物です)。
この続きは未読ですが、一このままの形でも怪漫画としてかなり珍しい終わり方ですので価値あります。
変わったシリーズですが、お楽しみいただければ幸いです。お大事にしていただければ、と思います。
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ちなみにこうした悪漢による勝利の終わりというのは長らく松本零士先生が探していたもので、こうしたものが大好きでしたが、生前、75年以上も探していたものが見つからず、ついに生前は見つけることできませんでした。コレクターとしては日本随一の漫画コレクターの1人であった松本零士先生でさえも手にできなかった本はあります。
手塚治虫先生は赤本漫画の中心に居り、まさに「新宝島」以降も「メトロポリス」「ロスト・ワールド」「来るべき世界」など数十冊以上にも及ぶ多作ぶりで赤本ブームを作った張本人で、松本零士先生は多感な少年時代に丁度赤本ブームで、それにもまれた世代で、自分で作品作ってきた手塚先生と違い、子どものころから読んできた戦前の漫画、赤本などには愛着もあり、集めてきたという違いはあります。コレクターと道を切り開いてきた創作者という違いは出ていて、手塚先生の印象では赤本は俗悪なもの多かったという印象。
当時は子ども向けに勧善懲悪ものが多く、こうした化け物の勝利を予感させるような終わり方しているものはほぼないのでそれだけ際立ちます。続きがあればどう立ち向かうかという話になるでしょう。お楽しみいただければ幸いです。