使用済み 菊はがき・枠なし1.5銭 明治43年:櫛型印・愛知○○、長野/小諸 カイコ関連・通知書 長野県川辺村あて 経年114年品
はがき
消印 〇は難読
櫛・愛知/○○・43.7.20・后5-8・薄印、着局印・櫛・長野/小諸・43.7.21・后5-7・A欄左部欠け
発信人・宛先など
静岡縣新居町・行精舘・袴田孫兵衛・発、長野縣川辺村・柳沢○○・あて、おもて面・筆書き+ゴム印、裏面・通知書・ペン書き+ゴム印
袴田孫兵衛のWEBページ
・海鳴学園ふるさと研究内容一覧表、3ページ
新居の名士 袴田孫兵衛孫兵衛は蚕の改良、桑の木の改良、人口肥料を奨励し、二宮金次郎の報徳の教えを生活に活かす等の調査研究
新居町
(あらいちょう)は、かつて静岡県浜名郡にあった町。現在の湖西市中東部から南東部に当たる。JR東海道本線新居町駅の駅名の読み方は「あらいまち」であるが、駅名以外は「あらいちょう」である。2010年(平成22年)3月23日に湖西市に編入され、新居町は廃止。なお、「湖西市新居町(○○=旧字名)」という町名で地名が残されている。
歴史
中近世 鎌倉時代から宿が置かれていた。慶長5年(1600年)には新居関所が設置され、江戸時代には東海道の宿駅新居宿が置かれた。建物は現在唯一残っている関所建造物として、国の特別史跡に指定されている。町章は、新居関所の「関」の文字をアレンジした物。新居小学校の校章とは相違がある。
近現代
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により敷知郡新居町を設置。
1896年(明治29年)4月1日 - 郡の再編により浜名郡新居町となる。
1942年(昭和17年)3月4日 - 町内でアサリを原因とする集団食中毒が発生。112人が死亡。
1944年(昭和19年)9月15日 - 横須賀鎮守府の管轄で浜名海兵団が設置される。
2010年(平成22年)3月23日 - 湖西市に編入されて新居町は廃止。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
川辺村
(かわべむら)は長野県北佐久郡にあった村。現在の小諸市の千曲川以南にあたる。千曲川と急崖の合間の緩斜面に小部落が立地する。地滑り地形が数ヶ所みられ、鴇久保部落から大久保部落にかけての地滑り地帯には風穴(氷風穴)が存在する。江戸時代には夏季まで貯蔵された氷が小諸藩主に献上され、明治時代に製糸業が盛んになって以降は、蚕の孵化時期の調節のため、蚕卵紙の貯蔵に利用された。一方、村域の広く占めるのは標高700m〜800mの御牧ヶ原台地である。古くは望月牧といわれる勅旨牧がおかれたとされる。永らく干魃が3年に1度発生するといわれるほど水利に恵まれず、無数の溜め池が築かれている。川辺村農協の指導で昭和25年から馬鈴薯栽培が始まり、のちに優良産地となる。水不足が最終的に解消をみたのは、女神湖からの水路が開削された、小諸市発足後の昭和49年のことだった。住民らの喜びは、御牧ヶ原公民館前に建立された石碑に刻まれた「あゝありがたきかな此の水」(川西土地改良区連合 理事長小山邦太郎謹書)から窺える。
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、山浦村・大久保村の区域をもって発足。村役場は上ノ平部落におかれた。
1926年(大正15年)12月1日 - 布引電気鉄道 小諸駅 - 島川原駅間開業に伴い、布引観音(布引山釈尊寺)の急崖下に布引駅設置。布引電気鉄道は経営不振により、僅か8年後の1934年(昭和9年)6月18日以降は完全に休止したのち、1936年(昭和11年)10月28日付けでついに廃止となったため布引駅も廃止。
1954年(昭和29年)2月1日 - 小諸町・北大井村・大里村と合併して小諸町が発足。同日川辺村廃止。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
経年
114年 消印から
状態
経年黄ばみ、焼け、シミ、汚れ、隅よれ、などのある古物難品です。美品希望の方、神経質な方には向いていません。
開始価格
経年数の19.3%としました。 114×0.193=22円.
最少額送料は85円(郵便書簡)です。
包装紙などにリサイクル用紙類を用いる場合があります。
他の商品との同梱を歓迎いたします。
File 11-B