当時の富士重工業は、好調なアメリカ向けの輸出への過度の依存による組織の硬直化が進み、1980年代末には
専門誌や新聞等で公然と他社による買収や吸収合併、倒産の危機が報道されるほどの厳しい局面を迎えていた。
倒産危機からの打開を図るべく、開発主管制度の導入、開発部門の連携強化等、大規模な組織改革が断行され、
開発コード「44B」として開発が進められたのが、初代モデルである。
開発プロジェクトの総括責任者は、中村孝雄(商品企画室 担当部長)。
1966年(昭和41年)5月14日発売のスバル1000以来、改良を繰り返しながら長年使われてきたプラットフォームから決別し、
すべてを完全新設計で作り上げた。
新開発のボディは、くさび形をモチーフに、ブリスターフェンダーが与えられ、各ピラーを黒色処理とすることで、
ガラスが連続する航空機のキャノピーを連想させるものとなった。「アルシオーネ」で用いられたデザインテーマを継承した。
デザインワークにはイタリアの伝説的デザイナー、ジイウジアーロが関与したとも言われているが、純然たる社内デザインによる作である。
チーフデザイナーを務めた杉本清は、スケッチの段階までジウジアーロとコンタクトがあったものの、最終的に社内でデザインが進められたと語っている。
エンジンは新開発の水冷水平対向4気筒エンジン「EJ」型を搭載。EJ20のシリンダーブロック、シリンダーヘッドは
レオーネの「EA」型と同じく総アルミ合金製で、ペントルーフ型燃焼室、センタープラグ配置、クロスフロー方式である。
また、全車に4バルブヘッドおよび電子制御インジェクションを採用している。クランクシャフットは5ベアリング支持で、
バルブ開閉機構にはHLA(ハイドロリックラッシュアジャスター)を設ける。
さらにクランク角センサー、カム角センサー、ノックセンサーからの信号をECUで学習管理、点火時期を決定する電子制御点火方式を採っている。
「RS」グレードに搭載された「EJ20」ターボは220PSを叩き出し、これは発表当時のクラス最強であった。
トランスミッションは、FF・4WD共、5速MTと4速ATが用意された。
4WD-5速MT車にはセレクティブ4WDとフルタイム4WDがあり、1.8L「Mi」のみセレクティブ4WDとなり、
同排気量の「Ti」を含む他の4WD-5速MT車はフルタイム4WDとなる。「RS」系と「GT」はリヤデフにビスカスLSDを備える。
ATは、油圧多板クラッチ「MP-T」をトランスファーに用いて、前後輪の回転差、車速、スロットル開度等から
前後輪へのトルク配分を、前輪:後輪=6:4を基本として、自動かつ無段階に変化させる「アクティブトルクスプリット4WD(ACT-4)」を採用している。
サスペンションはフロントがL型ロアアームを用いたコイル/ストラット、リヤがラテラルリンク2本を配したコイル/ストラットを採用している。
また、前後ロールセンターを結んだ「ロールアクシス」軸を最適化することによる「アンチダイブ・アンチスクォット・ジオメトリー」
によって、加速・ブレーキング時の車体の姿勢変化を少なくしている。ツーリングワゴンVZには「EP-S」を装備した「VZエアサス」もあった。
テストドライバーのチーフは、車両研究実験部のドライバーである辰巳英治が担当した。
テストコースだけではなく世界中のあらゆる道を辰巳が実際に走りこみ、開発チーム全員の意見をまとめた最大公約数ではなく、
辰巳ただひとりの高度な見識・技術と感性でハンドリングの最終セッティングが行われた。
これは、スバル車の開発として初の試みであり、後年のスバル車の開発思想が大きく変わるきっかけとなった。
こうした転換の背景にあったのは、当時同社の主要株主だった日産自動車が実施していた901運動だった。